2006年09月25日
2006年09月24日
2006年09月23日
代々木上原、東京ジャーミー。
井の頭通り沿いで、一番好き。
中も面白そう。
なんか意外とフレンドリーっぽいな。良い感じ。
代々木上原は、なか卯もあるし、文教堂も、ツタヤもあって、富裕地域だから雰囲気も良いし、たまに寄りたくなる街。
行きたくなる、というより、寄りたくなるって感じなんだよなぁ。
2006年09月22日
2006年09月21日
嵐の後の静けさ
「どんな川も、運河になって、やがては海になる。
自分が、川から海に行ったとして、淡水魚から海水魚に進化したとして、それは退化か、進化か、どっちかな。」
どこかで聞いたことのある言葉。ここを通るといつも思い出す。
2006年09月20日
2006年09月19日
明治神宮、黄金、木漏れ日
降り注ぐ陽光、森林浴。
明治神宮は朝5時くらいから開いているので、夜明け前からチャリンコで向かう。
虫が多いので、携帯ベーブないしは虫除けスプレー必須。
近くて、大自然。天皇ありがとう。
2006年09月18日
2006年09月16日
活けア
最近、よく遊ぶ友達が一人暮らしの準備をしているので、家具を見に行った。
巷でやたらと話題のIKEA港北。奇しくも、オープン当日と重なった。だだっ広い店内に、広がりのある空間。
僕は本用の電気スタンド(クリップ式)を買おうと思っていたけど、やはり安いものは質感がチープだった。客寄せパンダに思えた。妙にこだわる僕の私見だ。恐らく、どうでもいいひとには、どうでもいいであろう、些細な違い。
イケアは、選択肢が沢山ある。これは特筆すべき点だ。ネット全盛の今であれど、目で見て触って確かめることには当然、意味がある。
これは、ニッセンユーザーだった中学生の頃の自分に、聞かせてやりたい言葉だ。
どっちにしろ、組み立ては一人では出来ないけれど、出来上がったモノを見るのは大切だ。
メディアでご覧になった方が多いと思うけど、部屋丸ごとの家具一式、99800円だとか、ああ言う小部屋が無数にあって、無駄のない、聖人の部屋を沢山見た気分になった。
甘い苺みたいな部屋の中に入ったフリルが沢山着いた女子とか、ベーシックな中学生の部屋に入った中学男子を見ていると、他人の部屋を覗いている気分になって、めまいがした。
驚くことではないかも知れないが、彼らはその部屋にすっぽりと同化して、主体として成り立っていたのだ。誰も居ない部屋という環境に、近しいテーマを持った人間が入ると、それ自体が主役になる。
これには少し、考えさせられた。
あれは、平凡な人間を主人公に仕立て上げてしまうセットだった。いや、もしかすると、ほとんどの主人公は平凡で、何か少しだけ出っ張った環境があったからこそ、主人公に成れたのではないだろうか。そんなことを少しだけ考えて、環境問題を憂いながら、適当にアロマキャンドルを試香した。
キャンドルは30時間持つものが250円だった。ハンズだったら、800円くらいの品だ。
大量生産、コストカットの功績は利幅が少ない商品にも確実に現れる。んだっけ?知らんけど。
写真や絵画のコーナーも、なかなかの展示数と作品だった。海外の大都市を俯瞰した夜景の額縁や、立体加工を施したペイントが、割安で無数に売られていた。イケアがどういう芸術を扱っているのかはよく解らないけど、芸術は価格破壊すべきだと思う。
芸術と言う言葉を、僕はあまり信じていない。それは既得権益と同じに聞こえるからだ。だけど、嫌いではない。好きだと言われれば、好きなのだろうと思う。芸術がなんたるかなんてよく解らないけど、感銘を受けるモノは確かに存在する。だけど、信じていない。そう言う対象は、いつの間にか増えていったように思える。ネット、メディア、芸術、テクノロジ…。みんなみんな、大好きだけど、心底からは信じていない。ただ、信じるだけが正しいはずがないと思うのは、僕だけじゃないだろう?
IKEAは子供が多かった。その地域の子供は、その地域の特性を顕著に表す。そういう風に観察してみると、港北の子供達は正しかった。(僕にとって)ギャーギャー騒ぐガキは少なかったし、母親もある程度はわきまえている気がした。
子供は親にとっての宝だが、僕にとっての宝ではない。可愛い、とか可愛くない、とか外見も含めた価値を無意識に感じて、微笑むか、無表情か、そう言うことが決められているのだと思う。誰しもがきっとそうだと願う。
最近、子供が可愛いと思うし、子供を見かけたら写真を撮らせて貰ったりするけれど、どうも虫の好かないヤツもいる。そう言う心の内部の紛争めいたものは、いつの時代でも、誰の心にもあるものだろう。人類は争いの上に成り立ってる。たぶん。
結局、友達は寸法などを書いたメモを片手に、僕はアロマキャンドル一個を買って、帰路についた。
ロハスを標榜しているのか、コストカットを内包したのか、包み紙に至るまで値段が付いていた。
僕は、マイバック(なんて恥ずかしい響きだろう)にそれを入れてスキップで外へ出た。
イケアは広かった。広すぎて、錯視のような感覚に襲われた。レジを通過すると、スエーデン、じゃなくて、スゥエーデン、でもなくて、スウェーデンのものと思われる鼓笛隊が演奏していて、100円で飲み放題のコーヒーが用意してあった。錯視が続いていた僕は、気にはなったが、外へ出た。
その後にカメラを取り出すと、警備員がふてっていた。石ころを蹴っている様に見えた。
少し先の高速に乗ろうとしたら、スウェーデンの展示輸入住宅が目にとまった。便乗商法にしては、スケールがでかい。
なんとなく、錯視が続いている気がした。250円のキャンドルの炎を見つめている今も、それはずっと、続いている気がしている。
それはずっと、続いている気がしている。
2006年09月07日
2006年08月23日
2006年08月17日
日本は広いという感覚
旅をしたあとに、多くのビルを見たりすると、日本は広いと思う。
この景色が、多くの地方都市に広がっているのだから。
とことん視野が狭い、自分。
世界を、海外を知らないから、日本は広いと思うのかな。
2006年08月09日
2006年07月26日
2006年07月22日
シンボルとしての東京
地方の人が知っている青山とか、六本木とか、表参道は象徴的な、東京。
地方の人に情報として行き渡らない、東京のどこにでもある風景も、東京。
今日の写真は、後者。中野区、本町。どこにでもある、東京。
やしきたかじん「東京」を久々のカラオケで歌う。マジで良い曲、東京。
極東ブログ:東京が世界の中心なのかも 突出した集約度の東京。
中心というのが最大規模を指すなら、「東京が世界の中心なのかも」ではなく、マジで中心としか言いようがない。先の記事の話から見るとこうなる。す、すげえ!東京すげー!そりゃ、家賃が高いのもうなずけるよ。
ボストン・ワシントン・NY 5480万人
大東京圏 5470万人
上海・南京 5050万人
欧州低地地帯 5000万人
大ロンドン圏 4910万人
シカゴ・ピッツバーグ 4500万人
大ソウル圏 4300万人
こうした巨大都市がイコール繁栄と消費かというとそのあたりは難しい。記事ではつまらんオチが付いているが本質的な問題というか、日本への課題でもあるのは、巨大都市が未来の富を産む構造になっているかということだ。僕の実感で言うと、集約されたこその富というのは常に生まれ来るもの。例えば下北沢の劇団なんかは、あの場所に集まらないと成り立たないもの。
「文化の中心地」みたいな与太話はさておき、新しい産業構造やエネルギー問題にこうした構造がどう対応するのだろうか。ああ、文化は与太話なんだ。
それ以前に、日本人がほぼ自覚してないのにこんなものを作り上げる日本の底力というのは、さらにその慣性というか延長として、何をもたらそうとしているのか。もしかして、出会い?ナイスオチ。極東ブログはやっぱり面白い。
でもさ、出会いって文化じゃない?
産業にしろ、エネルギー問題にしろ、要約すると文化なんだと思う。壮大な夢物語みたいな。
それにしても、東京ってテーマはどんな目線にしろ、面白いね。とりあえずニューズウィーク見てこよっと。
地方人が知っている東京と、東京人が過ごす東京は違う。
それの狭間にある上京人はそれに戸惑い、次第になれていく。
知らなかったことをだんだんと知っていった。上京人の僕。
ああ、東京はこれからどこへ向かうのでしょうね 続きを読む
2006年07月17日
情報の情報
渋谷。湿り気がとても似合うから、雨の日は新宿より渋谷。
渋谷。情報が飽和しすぎて、めまいがする街。
「最初はちょっと怖かったけど、いつの間にか普通になった」
田舎者同士で話すと、渋谷に対するイメージが『情報に対する怖じ気』として一致することがある。
「情報のための情報が欲しいよね」 冗談っぽく呟く。
その間も情報は垂れ流されて、解らなくなるけど、問題はない。進んでいく。
解らないことが解るようになると、楽ちんだ。
2006年07月13日
六本木ヒルズにピクサー展を見に行ってきた。
つまり、迫ってきて、入ってくる感じがした。
ピクサー展はトイ・ストーリー、バグズ・ライフ、モンスターズ・インク、ファインディング・ニモ、なんて言う"超有名現代おとぎ話"の製作過程を、ラフ画、模型展示、動くフィギュアで示していく展示なんだけど、実はデジタルに依る部分より、アナログな創作が多いという点で、お客さんにカンチガイされている部分が多くて、ボタンピコピコで作ってる訳じゃないんだぜ!と言う主張をぶちかまして、創作を展示してみました。ってな寸法で。
「迫ってきて、入ってくる感じ」は最初に入った所の立体映像なんだけど、なんかコンセプトもしっかりしてるし、吸い込まれるよ。
11分のフィルムなんだけど、33分、すなわち3回も見入ってしまった。その間、良い意味で思考停止。脳がイッパイイッパイ。
絵画と言う平面の中に込められた立体のストーリー、って感じかな。
とにかくアレは見といて損はない。
その他にも色々な展示があって、残念ながら僕はこの"おとぎ話群"を見たことがないので、解らない部分もあったけど、コレきっかけでビデオを見てみようかな、って思えるほど、素朴で、愚直なラフ画から始まったものが、集合体的発想に凝縮されてて、感動した。
やっぱり、クリエイティブな個が集まってそれが集団になると、凄いんだ。って言う当たり前のことで、胸が一杯になった。
これは、ファンじゃなくとも楽しめるんじゃないかな。ファンだったら楽しめすぎるんだろうな。
というか、この作品群がすごい有名なのは知ってるんだけど、みんな見てるのかな?
僕が未見なのが異常なくらいなのかな。まあ、とにかく、良いきっかけができた。
ありがとう。
あ、あと、この場所、冷凍庫の匂いがするよ。少し冷たい匂い。で、それに比例するように館内も肌寒くて、寒気がしたくらいだから、羽織るモノを持って行くと良いかも知れない。
ピクサー展
期 間:2006年7月1日(土)~ 8月27日(日)*会期中無休
開館時間:10:00 ~20:00(最終入館19:30)
会 場:森アーツセンターギャラリー(森タワー52F)
料 金: 一般\1,500、高大生\1,100、4才~中学生\700
※展望台とのセット券:一般\2,500、高大生\1,700、4才~中学生\900
さて、六本木ヒルズから、東京タワーを見てから、帰ろうか。
なかなか良いカンジでした。
2006年07月02日
セールの季節とW杯が重なって、ブラジルの金銭感覚を考えてみた
1月と7月はセールの季節。
そいつの影響で、渋谷や新宿、池袋なんかの主要都市じゃ交通渋滞を激化させているらしい。
見た限りでも、渋谷のパルコは凄い行列だった。そういえば、若い女の人ばっかりの行列って、勝ち誇ったみたいで何か怖い。
だけど、セールには惹かれる。僕はチビなのでボーイッシュなレディースが基本アイテム。
それで、チビなのでヒロトーニョと名乗ろうかと思ったけど、W杯に便乗してるクサイしなにより語呂が悪いからやめにした。
ワールドカップ。フランス×ブラジル。
基本的に、ながら視聴の僕はいつの間にか釘付けになってた。
風景好きの僕目線でたとえると、この試合はこうなる。
フランスは、エッフェル塔。
ブラジルは、イグアスの滝。
文化vs自然ってところか。
試合は後半から激化した。
フランス、前線へのプレッシャーが凄い。まるで体力の事なんてどこかに消え去ったみたい。ジダン、ブラボー。
ブラジル、凄い気迫。だが、なかなかシュートに行けない。ロナウジーニョも少し苦笑い。彼の笑顔は世界の宝だ。
それで、試合は1-0でフランスが勝ったけど、僕は結果的に、結果より内容に意味を感じた。
戦いとは、いかに野蛮で、いかに純粋で、いかに正義で、いかに愉快か。
そんなことを考えながら、試合に見入っていた。
そして、文化が勝ったわけか。そう思うと、悪くないな。
どっちも応援してる立場だと、負けてる方を応援したくなるよね。
ということで、負けてたブラジルについてのエントリ。
ブラジル、というか南米の人間性には惹かれるものがある。
チビの事をチビと言って、それを公称にしてしまう開けっぴろげさ。
ロナウジーニョが良い例だよね。
「同じ名前のロナウドが居るから…お前、チビの方のロナウドな!」
ロナウジーニョ「了解」
って感じだったんだろう。
これが日本人なら
「あ、代表に選ばれた中田コウジくん?ウチ、中田、居るんだよね…君…以外と特徴無いね。じゃあ普通の方の中田君で」
ナカタコウジ「は!?」
でしょ。
さらにブラジル的感覚の監督(早口言葉@ブラジルテキカンカクカントク)なら
「あー、前から居る中田なら『目が細い中田』で良かったのになー。君、もっと早く入って来なきゃ!」
ナカタコウジ 「うぅ…」
でしょ。
「チビはチビだし、デブはデブだ。」
そう言う感性は、憧れるし、そう生きたいと願う。
日本ではデブを指摘したらこちらが失礼になるのだろうし、チビの僕をチビという人はまず居ない。
だけど、ブラジルには欠点も沢山ある。欠点は利点の中に潜んでいて
開けっぴろげさが、そのまま欠点になる。
まず、金にルーズだ。
僕には、ブラジルにコーヒー豆を作りに行った頭の宜しくない親戚が居て、その家族が日本に遊びに来るとそいつを痛感する。
なんというか、遠慮がない。すぐに金をせがむ。
「ファミリーじゃないか」
そうやって、迫られると一度や二度は金を与えるが、親戚とは言え、それを施す理由が見あたらない訳で、結果、親類は離れていく。
これは、彼だけじゃなくブラジル人全般に言える事みたいだ。
同じようなヤツに同じようなヤツが連なって、世界は作られる。
お金が好きで利己的なヤツには、お金が好きで利己的なヤツが集まるように
お金にルーズで楽観的なヤツには、お金にルーズで楽観的なヤツが集まる。
欠点はあくまで「私たちの常識」目線であって、常識など地球の反対側じゃひっくり返ってても当然だ。
そして、その欠点がまた利点に帰ってくる。
ブラジル人は貧乏人を差別しない。拒否することがない。協力という方法を採るんだ。
検索をしていたら良い例が出て来たので引用する。
DINDINの日記/金銭問題
ブラジル人的協力、つまり、
そっちに足りないものを変わりに今立て替えてやって、
後で物品と交換とか、肉屋に行ってつけで肉やビールを買うとか、
小切手を交換してもらうとか、
そういう後でわけが分らなくなるようなやり取りが嫌い。
メカニコ(車修理する人)に修理代立て替えといて、とか
(この場合、返済率0,2パーセント)<返す人はほぼ居ない。
そう、この日本人にとっての訳のわからなさがブラジルの利点であって、欠点なんだ。
感情的には、ブラジルを支持したいけど、実際問題となると、自分のお金は自分で管理して、何らかの目的のために使いたいでしょう。
安く買うために、セールの行列に並ぶみたいに、僕たち私たちは賢いお金の使い方を知らず知らずにマスターしてんだ。当たり前のようだけど、これってもしかすると凄いことなのかもね。
先進国が素晴らしい、とか
後進国が気の毒だ、じゃなくて
そこにあるリアルを、自分なりに楽しんで、感じて、消化していくことが、世界なんじゃないかな。
決して「世界を救う」とか
「世界はこうあるべきだ」ではなく
それが世界であれば、僕は嬉しい。
そう言う目線で「世界」と「希望的未来」は同義語だと願い
ブラジル×フランス戦の余韻をはき出しながら終えていく早朝のエントリ。
こう言うエントリに何らかのコメントがあると
それが否定的であっても、僕は楽しいんだけど
あなたは果たしてどうだろ?
2006年06月27日
YOK
これの夜バージョン。
昼と夜、どちらにしても良い被写体、観覧車。
惚れるに至る前の気になる存在の時点から、とりあえず吟味。
撮れば撮るほど解ってくる何か。
大抵は知れば知るほど興味は失せていくけど
その中から残ったものは自分にとって特別な存在になるんだろうな。
写真だけじゃなく何にでも言えること。
ここ何日か撮るよりも見るのが楽しい。他人の写真も自分の写真も。
日々は移ろいで行くね、なんとなく気ままに。


